
2025年12月14日

報告
1.<待降節>(アドベント)
11/30(主日)から12/24(水)までは待降節です。
主イエス・キリストのご聖誕を心からお待ちしましょう。
2.<クリスマス行事>
◎クリスマス礼拝:12/21(主日)2部、3部 (通常通り)
◎東京希望宣教教会 クリスマス礼拝:12/21(主日) 午前10:00
◎主日学校クリスマス礼拝:12/20(土) 午前11:00(地下聖殿)
◎NEXT次世代クリスマス礼拝:12/21(主日)午後4:00(地下聖殿)
3.<責任役員会>
12/14(主日)3部礼拝後に会議室で集まります。
責任役員の方は必ず参加してください。
4. <予算総会>
12/28(主日)3部礼拝後に会議室で集まります。
代議員は必ず参加してください。
5. <年末年始礼拝案内>
送年礼拝: 12/31(水)午後8:00
新年礼拝: 1/1(木)正午12:00
説教要約
2025年12月14日 (待降節第3主日)
題:イエス・キリストは神なのか、人なのか
聖句:フィリピの信徒への手紙 2章5-11節
5 あなたがたの間で、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。
6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であったのです。
9 それゆえ神は、キリストをこの上なく高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10 それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべてひざまずき、
11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べ、父である神をたたえるためです。
序論
今日の御言葉は、**キリストの低くされること(卑下)と高くされること(昇貴)**についてです。また、私たちもキリスト・イエスと同じ心構えを持ち、キリストのように生きるべきであることを強調しています。
高い地位から低い地位へ降りることは、非常に難しいことです。低い地位から高い地位へ昇るのは、光栄なことでしょう。大将が降格されて一等兵になったとしたらどうでしょうか。一等兵が昇進して大将になったとしたらどうでしょうか。
今日の聖句は、キリスト・イエスを通して、高いところから低くされ、再び高い地位へ昇るという完全な模範を示しています。低くされ、従順になり、再び高められる秘訣がここにあります。
イエス・キリストは神でしょうか、それとも人でしょうか。聖句を見ると、完全な神であり、完全な人として示されています。
1. 神の御本体であるイエス・キリスト (2:6)
三位一体の神
初めから神は三位一体としておられます。旧約聖書には、三位一体の概念が「神(エローヒーム)」という言葉の中をはじめ、多くの箇所に現れています。新約聖書では、三位一体という単語は出てきませんが、概念ではなく三位一体の神についての表現が明確に示されています。
エローヒーム
旧約聖書で神を「エローヒーム」と呼びますが、これは常に三位一体として現れています。ヨハネによる福音書1章では、神はすべてを設計され、イエス・キリストは家を建て、聖霊なる神は入居して住んでおられる方として説明できるでしょう。設計者、建築者、入居者として理解すると良いでしょう。
キリストが人となる前
ヨハネによる福音書1章14節には、「14そして言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子の栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」とあります。
ヨハネによる福音書1章1-13節までにある、初めから**言(ことば)としておられたキリストは、言が肉(すなわち人)となって、私たちの間に幕屋を張る(宿る)**ことがあったと述べられています。その言は、今は幕屋を張って私たちと共に宿っておられるわけではないということも意味しています。
これは、本章7節の「かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。8人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であったのです」という御言葉と同じ内容です。イエス・キリストは、人となる前は独り子としておられました。
2. 完璧な人であるイエス・キリスト (2:7-8)
自らを無にして
イエス・キリストは神と等しい御本体です。しかし、自ら神のすべての属性を完全に無にされました。この時、誰かの強制によるのではなく、自らそうされました。神の神性を**100%**すべて空にされたのです。
僕の身分、人間の姿
イエスが人として来られた時には、神性が1%も残っていませんでした。100%人間の人性を持って世に来られました。それゆえ、彼が世に来られたとき、彼を神の独り子だと考える人はいませんでした。ただ、神から啓示された数人の人々だけが彼を見分け、神に栄光を帰し、彼を拝しました。
30歳まで
新約聖書には、イエス様の30年間の生涯に関する記録は、明確には多くありません。イエスは普通の人として、時が満ちるまで律法を遵守しながら完璧な生活を送られました。イエスはアダムの子孫として来られましたが、その血筋に従わず、聖霊によって宿されたため罪がありませんでした。贖罪の供え物となるためには、罪がなければならないからです。私たちが知るところでは、イエスは**大工(テクートン、建築家)**としての生活を送られました。
3. イエス・キリストの働き (2:8, 使徒言行録 10:38)
聖霊のバプテスマを受けられたキリスト
イエスが30歳頃になられるまでの聖書の記録は多くありません。イエスが普通の人間として生活されたことを推測させます。
しかし、ヨルダン川で水と聖霊のバプテスマを受けられた後、神の認定と聖霊の証を受けられました。イエスは完全に人であったために、聖霊のバプテスマを受け、父なる神の認定を受けられたのです。
聖霊の力によって働かれたキリスト
使徒言行録10章38節には、「38ナザレのイエスが、神から聖霊と力を注がれ、神が共におられたので、巡り歩いて良い業をなし、悪魔に苦しめられている人々をすべてお直しになった次第です」とあります。
そうであれば、イエスが行われた働きは人の力ではなく、聖霊の力によってなされたものです。父なる神が子なる神に聖霊なる神を注がれることによって、三位一体の神が共同で働かれた結果を示しています。
新約聖書には、旧約聖書とは異なり、神は常に単数(テオス)で出てきます。したがって、文脈の中で父なる神なのか、子なる神なのか、聖霊なる神なのかを見分けながら読まなければなりません。
十字架の死と復活
「8...へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であったのです。9それゆえ神は、キリストをこの上なく高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。10それは、イエスの御名によって、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべてひざまずき、11すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べ、父である神をたたえるためです」という御言葉は、イエス・キリストの十字架による贖いの働きと復活と昇天と再臨のすべてを包含した御言葉です。
結論
今日の御言葉の中心は、「キリスト・イエスと同じ心構えを持ちなさい」ということです。そして、イエス・キリストの心構えがどのようなものであるかを説明しました。
キリスト・イエスは神と等しい方でありながら、僕の身分、人間の姿となって来られ、十字架で死に至るまで従順であったことで、最も高い地位を授けられました。別の言葉で言えば、人として来られ、聖霊を注がれて働きを終えられたキリストは、昇天することによって神の御座に復帰されたのです。
私たちもキリスト・イエスと同じ心構えを持ち、キリストのように聖霊に満たされて、御言葉に従順な生活を送るとき、キリストの栄光を今から永遠にわたって共に分かち合うようにしてくださるでしょう。
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